はらぺこもりのぺこちゃん

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子どもたちがゆびをさす。


大人たちもゆびをさす。


「興味」「要求」「共感」「応答」など意味は様々だろうけど
その「ゆび」がお互いのこころに働きかける。


言葉とは違うやりかたで「ゆび」が語る。


世界中の子どもたちが「ゆび」で語る。


その「ゆび」を愛おしいと思う。


「ゆび」がさした対象も愛おしいと思う。


世界のすべてを愛おしいと思う。


世界中のまだ言葉を持たない子どもたちがその周りの大人たちを「狂おしく切なく愛おしく」させる「ゆび」。


「ゆびさし」はにぎやかだ。


彼らが見つけたものに自ら彩りを与えているかのようにゆびをさす。


それはきっと彼らの心に灯がともる時。


人はいずれゆびをささなくても意思の疎通が図れるようになる。

「言葉時代(造語)」が到来するのだ。


大人たちも、子どもたちがゆびで語っていたことなどすぐに忘れてしまう。


あれほど世界に彩りを与えてもらっていたのに。


いや、私たちは「ゆびをさす」この時を大いに楽しもう。


このシンプルでありながら愛のたっぷり詰まった「ゆびをさす」を大切にたいせつにしよう。


「ゆび」がわたしのこころを育んでくれているのだから。


わたしたちの「ゆびをさす」

保育者

ぺこちゃんで買っている虫かごの中の動くカナヘビをゆびさし、カナヘビに向けていた視線を保育者に向ける。まるで「みてみて」と言っているようで、保育者は「カナヘビいたね」と声をかける。

その後も興味津々にカナヘビを見たり、触ってみたりしながら何度もゆびをさして教えてくれる。また、虫かごの蓋を閉めると、少しぐずった様子でゆびさしをする。「ぼくはまださわりたいんだ」と訴えているようだった。「ゆびさし」には様々な感情がこもっているように感じる。

1歳児 かーちゃん

初めて喋った言葉は「はっぱ」でしたが、初めてゆびをさしたのも公園の大きな木の葉っぱでした。二人で「葉っぱだねー、大きいねー、高いねー」と言ってしばらく眺めました。

1歳児 かーちゃん

寝る前に必ず何冊か絵本を読む。その時お気に入りの動物や虫、食べ物などは、どんなに脇役で小さく描かれていてもゆびさします。

例えば、ウサギとおばけのお話に描かれているアリ。お話のストーリーには全く関係がなくただ背景の一部としてしか扱われてないけど、必ず「あり!」と言ってゆびさします。「大好きなものがそこにいるから伝えたい」ということかな。

「アリだね」と一言返して絵本は読み進めますが、そのやりとりが愛しくて、早く寝かせたい気持ちと、ゆっくり絵本をいっしょにながめたい気持ちが毎回せめぎあいます。

1歳児 かーちゃん

彼女がこの世に生まれてから今に至るまで、一番多くゆびさししているのは、きっと「お月さま」だと思います。「ゆびさし」という行為をするようになって間もなく、外に出て月が出ていると必ず月をすっとゆびさしていました。

機嫌が悪いとき、泣いていたとき、余り体調が良くないとき、色々な場面でどうにも行き詰った時は、外に出ます。その時月が出ていれば不思議と涙がひっこむのです。何度親子で月をゆびさしてきただろう。そしてこれから後何度雪をゆびさしていくのでしょうか。

0歳児 かーちゃん

とにかく1歳になった今、彼が盛んにしていることは間違いなくゆびさしで、何で⁉と思うものにニヤーっと笑い、ケタケタ声を出して笑い、時には泣いて叫んで。

毎日発見ばかりでとってもおいそがしそうな最近です。

1歳児 かーちゃん

「ばす!」と車の窓から見えた乗り物をゆびさして教えてくれる。車の大きさでバスだと思ってるんだなあと思う。はらぺこにバスがあるからかなとも思う。うれしそう。

乗りたいのかな。「バスがあるね。乗ってみたいね」と声をかけています。

保育士

靴を履いて外へ出た彼女がすぐ空を見上げてゆびをさした。園舎と林の間の真っ青な空に2本のヒコーキ雲。そのコントラストの美しさに思わず「わぁー!」と声が出てしまった。

ヒコーキ雲をみつけてゆびをさして教えてくれたと思うが、きっと彼女も美しさや長い雲の迫力に「わぁー!」と心が動いたのではないかな。

「ゆびをさす」

子どもたちがゆびをさす。

大人たちもゆびをさす。

「興味」「要求」「共感」「応答」など意味は様々だろうけど
その「ゆび」がお互いのこころに働きかける。

言葉とは違うやりかたで「ゆび」が語る。

世界中の子どもたちが「ゆび」で語る。

その「ゆび」を愛おしいと思う。

「ゆび」がさした対象も愛おしいと思う。

世界のすべてを愛おしいと思う。

世界中のまだ言葉を持たない子どもたちがその周りの大人たちを「狂おしく切なく愛おしく」させる「ゆび」。

「ゆびさし」はにぎやかだ。

彼らが見つけたものに自ら彩りを与えているかのようにゆびをさす。

それはきっと彼らの心に灯がともる時。

人はいずれゆびをささなくても意思の疎通が図れるようになる。

「言葉時代(造語)」が到来するのだ。

大人たちも、子どもたちがゆびで語っていたことなどすぐに忘れてしまう。

あれほど世界に彩りを与えてもらっていたのに。

いや、私たちは「ゆびをさす」この時を大いに楽しもう。

このシンプルでありながら愛のたっぷり詰まった「ゆびをさす」を大切にたいせつにしよう。

「ゆび」がわたしのこころを育んでくれているのだから。