はらぺこもりのぺこちゃん

先生より

はじめに小さな命ありき

この命がはじまってまだ数年しか経っていないのに、私たちはこの命の豊かさに圧倒され、その素晴らしさに心奪われています。私たちが日々生きていく事への意味をこの命が教えてくれているといっても過言ではないでしょう。愛おしいこの命が、健やかに成長し、のびやかにこの世界とコミットしてくれるよう私たちの願いは尽きる事がありません。

子どもにしてあげられることってなに?

愛情を示すやり方はひと様々ですが、愛情そのものはとってもシンプルなものでしょう。「想うこと」と、言い換えても良いかも知れません。日常生活の雑多な日々は「想っている」だけでは何ごとも進まないこともありますが、愛情は「想うこと」を抜きでは語れません。もちろん子どもは自分の持ち物でも、アクセサリーでもなく、大人の言うことだけを聞くロボットでもありません。押し付けるだけのエゴを愛とすり替えて愛情の深さを誇示するのではなく、「個」としての存在を最大限尊重し、自立を促しながら、共に生きていく時間と空間を確保していくこと。上手くいくことばかりではないにしろ、喜びに満ちあふれた体験を重ねるチャンスをつくっていかれればと願っています。

こころとからだについて

子どもたちの日々の成長には目を見張るものがありますが、自然に即した生活の安定した流れが大きな支えになることは明らかです。私たちは、子どもの能力を幼いうちから全開で引き上げるというようなやり方を好みません。言葉の獲得ひとつをとってもこころの充実を抜きに発語ばかりを促すようなことは危険なことと感じています。感情の揺れや体験、人との充実した関わりの中で充分に心が満たされたうえでこぼれるようにして流れ出る言葉の輝きと旋律は、何ものにもまして私たちの宝物となるでしょう。知識の押付けを幼いこころとからだに施すのはいとも簡単なことですが、体験という裏づけのないものはいずれ本人の中から滑り落ちていってしまいます。喜びが伴う体験はいずれ知恵となり、生き続けようという力の源になるものだと、私たちは考えます。咲いている花の名前を覚えることよりもまず、咲いている花を見て何かを感じることのほうがはるかに重要なことだと思います。豊かな感性や様々な感情をはぐくめる場として、「はらぺこ」が充分機能していくよう進めていきたいと考えています。

からだについても同様に、運動能力ばかりに気をとられているとサプリメントと体操教室でフォローが出来ているものと考えてしまいがちです。たしかに近年子どもたちの生活様式の変化、とりわけ遊びや運動の変わりようは驚くほどで、体格は大型化しているものの体力は年々落ちていっているのが現状ですが、もともと子どもたち自身の遊びの中で培われていった体力なのですから、やはり充実した遊びの中で新しい子ども像を模索していきたいと思います。

育ちの環境について

人はいつの時代でもその時その時、時代の大きなうねりに絡め捕られ否応なく流されていきます。現代に生きる子どもたちに必要な環境とはどうあったらよいのでしょうか。

私たちは、自然(ネイチャー)のなかでたくさんの命にふれあい心豊かに育ちあう環境を提案し整えていきたいと考えます。人工的なものに囲まれながらバーチャルな世界で受け身のみの心地よさを味わう時間が増え続けている私たちですが、子どもたちの育ちに対して、もう一度原点に立ち返って素朴で自然豊かなシンプルな生活環境を基盤として、そこから生み出される新しいエネルギーを拠り所としたいと思います。

土と戯れる子どもたちの姿は独特のエネルギーを発散させています。森の中では身体の奥底が目覚めるささやかな興奮を感じると同時に穏やかな眠気を感じ、微かな音にでも敏感になります。太陽のこと、水のこと、風のこと、雨のこと、草花や木々のこと、石のこと、火のことなど、ひとり一人が時間をたっぷりかけそれぞれの事柄に向かい合い、対話をしながら自分の原風景を作り出していける環境づくりをはらぺこでは取り組んでいきたいと思います。

「感じる」ことを味わうために、はらぺこでは様々な場所に出没したいと思っています。枝振りが風の通り道を教えてくれる木々、水の流れが光の軌跡のように大地にふりそそぐ河、太陽のパワーをたっぷり吸いこんだ土手や丘。人の手が自然と共作してつくり出した美しいあぜ道。名もなき風景を求めて「小さな旅」にでかけます。

食べること、眠ること

いきとしいきるものすべて、おなかが空いていない状態ほど幸せなことはありません。にもかかわらず、この国で生きている私たちは、この幸福感をあまり味わってはいません。おなかが空く前に、もう次の食事がまっている環境では、子どもたちは空腹感というものを味わうことなく漫然と食事をすることになります。その食事が自分の命を繋ぐものというリアリティーは大人の私たちですら感じることが難しくなってしまいました。

好き嫌い以前の問題として、食べる意欲が低下している子どもたちの姿を見るにつけ、今子どもたちに必要なことは、はらぺこになるぐらい夢中で遊び込み、最大限の喜びをもって食事をする毎日を積み重ねていくことなのではないかと考えます。食育という言葉が昨今取りざたされていて、言葉や考え方はとても歴史があり様々な実践がされていると思いますが、はらぺこでは食育を「食を通してこころとからだを育む」としてとらえ、畑や田んぼでの活動や発酵食品をつくったり、調理体験を積み重ねていきながら、素材の味や調理をすることによっておこる変化など、大人になってしまえばあたりまえだと感じてしまうことをひとつひとつ味わっていきたいと考えます。また、食べる喜びを味わえるよう、遊びのことも含めて、環境を整えていきたいと思っています。

子どもたちの毎日の生活リズムは豊かな子どもの時間を過ごすためにとても重要なことと私たちは捉えています。その中でも睡眠は大きなポイントで、しっかりと睡眠時間を確保して、さらに朝は早く起き、自律神経のはたらきを活発化させていきたいと考えます。全ての事象は繋がっています。しっかり睡眠をとるためにはしっかり遊び込むことが大切になってきますが、しっかり遊び込むためには、充分な睡眠と、ちゃんとした食事が欠かせません。それは子どもたちだけの問題ではすでになくなっているというところに、子どもたちの生活リズムの確立の難しさがあるようです。いずれにしても、子どもたちの寝顔は私たちの喜びです。彼等の見る夢がハッピーな夢であることを私たちは望んでいます。

かかわりあうこと、ぶつかりあうこと、まじりあうこと

人は人と関わりあうなかで様々に学び成長します。友達や仲間といったものは何にもまして大切なものです。友だちと関わりあうこと、友だちの中で自分の気持ちを伝えられること、友だちの気持ちを思うことができること、友だちとぶつかりあえること、お互いに歩み寄れること、などすべて理屈ではなく実際に生活や遊びの中でひとつひとつ獲得してくことですが、そのことこそ生きている証とも言うべきことなので、あたりまえのことながらはらぺこでは大切に見守っていきたいと考えます。友だち同士のけんかもそのことだけを見ればトラブルとして捉えがちですが、そこを乗り越えていかないことにはお互いの心の成長は望めません。子どもを信頼していくなかでひとり一人の心がまじりあいながら共に成長していけるよう歩んでいきたいと考えます。

さらに、地域の中でもどんどんまじわりをつくっていければと考えますが、ただ交流をした、という事実を残すだけでなく、もう一歩踏み込んで日常的な風景にしたいという希望をもっています。子育てにはたくさんの人の手と愛情が必要です。お互いを尊重しあいながら楽しい時間を作り上げていければと勝手ながら考えています。なにほどのこともなく一緒に遊んでもらうことも、得意の分野をいかして一緒に遊んでもらうことも、どちらも私たちにとってはとてもありがたいことで、子どもたちにとっても貴重で楽しい時間になることは間違いありません。

さらにはらぺこでは保護者の方に保育に入ってもらい子どもたちに関わっていただきます。お互い普段の家庭の中とはまたひと味違った関わりの中で共に充実した時間を過ごすことは、家庭の中でも新たなコミュニケーションを生み、特に保護者の方は、短い光輝く幼児期の喜びを余すことなく味わえる良い場だと思います。決して気負うことなく自然体で関わりながら、一緒に楽しみましょう。

さぁ、歩きはじめましょう

どんなことにもはじまりはあります。たとえそれが、わずかな光を頼りに心細いスタートであったとしても。

物が豊かなこの時代にあえて環境が整っていない場での子育ては、まさに私たちが失ってきたものを取り戻す活動ともいえます。かつてこれほど子育てや教育が難しいと感じた時代はなかったでしょう。しかしそれだからこそ、皆で一緒に考え、実践をし、毎日を喜びに満ちあふれるものにしていく活動が、生まれたのだともいえます。トライアンドエラーを繰り返しながらも一歩一歩地に足をつけて、喜びの歌を歌いながら歩いていきたいと希望しています。まずは今日一日の充実を目指しながら。

はらぺこの森に遊びにきませんか。

森に子どもとあなたの笑い声を響かせるために。

園長 小林成親

御嶽山麓の公立保育園で14年間勤務後、2005年に保護者と共に NPO 法人山の遊び舎はらぺこを設立し、2023年に認定こども園へ移行。現在も園長を務める傍ら、NPO法人全国森のようちえん全国ネットワーク連盟理事長として全国の自然保育推進に取り組む。

かに座のA型
典型的な整理整頓好き(自称)